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学園劇

カトリックに関係の深い歴史上の人物を扱った創作劇を市民会館やチトセピアホールで上演しています。キャストはもちろん本校生徒(希望者は全員参加できます)。演出とスタッフは専門家が行う本格的な演劇です。厳しい稽古を乗り越えて舞台に立った生徒たちはひと回り大きく成長。質の高い演劇を毎年楽しみにしている観客も大勢います。

第14回定期公演

2015.11.18 信徒発見150周年記念 『津和野』−乙女峠殉教物語−
乙女峠殉教物語

本年は、250年もの長く厳しい徳川幕府の弾圧を乗り越え、大浦天主堂でプチジャン神父と浦上の信徒たちが、奇跡的な出会いを果たした「信徒発見」から150周年の記念すべき年にあたっています。その後、明治新政府の政策により、浦上の信徒たちは西日本各地に流罪となりました。中でも津和野に流された高木仙エ門、森山甚三郎を中心とした方々は、勇気溢れる強い信仰を生き抜き、浦上再建の礎となりました。高校生たちによる拙い演劇ではありますが、彼らの演技の影に実際にあった事実を思い起こし、平和な時代に生きている私たちに問いかける、何かを見つけ出して頂きたいと願っています。

    聖母の騎士高等学校 校長 アM宏美

第13回定期公演

2011.11.16 東日本大震災復興支援 ものがたり 『アシジの聖フランシスコ』
アシジの聖フランシスコ

本校がカトリック学校としての使命を明確にし、特色ある教育を行うためにと16年前から始めた「宗教劇」の公演も、13回目を迎えることになりました。今年度は特に、東日本大震災復興支援と位置づけ、あらゆるものに温かさと優しさで接し、惜しみない愛を捧げられた「聖フランシスコ」の物語を再演することにいたしました。なお今回は、幼き子どもたちに視点を置いた演出になっており、オオカミの縫いぐるみなども出てきます。

    聖母の騎士高等学校 校長 アM宏美

第12回定期公演

2009.11.12 聖フランシスコ修道会 創立800周年記念兄弟太陽の賛歌 
                               『アシジの聖フランシスコ』

兄弟太陽の賛歌 「アシジの聖フランシスコ」

                       あいさつ

 今年は私の所属する修道会、聖フランシスコ修道会の創立800周年に当たり、いま全世界の人々がアシジの聖者フランシスコの「生き方」に注目しています。
 彼の人間観は「神の似姿」です。神様は人間をご自分にかたどって、似せて作りました。そして神様は生命あるものも、生命のないものも、すべて人間の幸せのために創造されました。
聖書には次のように記されています。「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。それは極めて良かった」と。
 聖フランシスコにとって、この世には本当に悪いものは何もないのです。神様がお造りになったものに悪いものがあるはずがありません。ですから、自分の悪口を言う人々、憎む人々、迫害する人々を赦し、快く受け入れ、平和と和解の道を説いて止みませんでした。まさに平和と和解の人でした。
 今回、本修道会創立800周年記念学園劇として、聖フランシスコの「息子」でもある谷崎新一郎神父が、この聖人の姿を戯曲化してくれました。
 本校の生徒たちが演じる劇が、聖フランシスコの心を伝え、多くの人々の心の中に平和と和解の灯をともすよすがとなることを願っています。

    聖母の騎士高等学校 校長 古 川 和 雄

第11回定期公演

2007.10.4 日本188殉教者列福を記念して 『風花』
風花

 十字架の上に縛り付けられ、白い槍の穂先が目の前に迫ったとき、少年たちは「子らよ神をたたえよ、聖なるみ名をたたえよ」と大きな声で歌い出した。今からちょうど410年前に西坂の丘で26名のキリスト教徒達が処刑されたときのことである。
 それは絶望とやり場のない悲しみではなく、生命をいただいた神への感謝と、信仰に殉じた生涯を終えることのできる歓喜の叫びだった。処刑される間際の人間が、しかも、わずかにまだ12、13歳という少年たちにそんなことができるのだろうか。しかしそれは紛れもない真実であった。
 この清らかで潔い「二十六聖人」の魂を、陽射しを浴びながら風に舞い散る雪に重ね、タイトルを「風花」と名付けた。
 時が過ぎ、自由で豊かな時代に生きる今日の私たちに、聖者たちの姿は、神への愛と信仰こそが人間にとって最も大切な宝であることを教えている。特に3名の少年殉教者達からは、同世代の「仲間」として、21世紀を担う少年少女たちに熱いメッセージが送り続けられていると、私は信じている。
 今年は図らずも聖人たちの後に続いた日本の信徒188名が福者に列せられることが決まった。

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第10回定期公演

2005.2.10 聖コルベ来崎75周年記念学園劇定期公演10周年記念 『受難』
受難

 「特色ある教育」の一環として毎年取り組んできた本校の宗教劇定期公演も,今年で10回目を数えます。これまで多くの方々のご協力とご支援をいただき、心から感謝申し上げます。
 17世紀ヨーロッパにペストが大流行したとき、南ドイツのオーバーアマガウという村では、「10年毎にキリスト受難劇を演じる」ことを神さまに誓い、今日までこの約束を守り続けています。
 これにちなんで10年前から始めた私たちの宗教劇には、学園創立の目的を見失うことなく、神さまのメッセージを力強く発信し続けていきたいという願いが込められています。
 10周年を迎えるにあたって、今年度は本校も「受難劇」に挑みます。戦争とテロの脅威に揺れる世界に、キリストの愛に根ざした真の平和が一日も早く実現されることを祈りながら……。

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第9回定期公演

2004.2.13 聖コルベ列聖20周年記念  『船上の涙−長崎からアウシュビッツへ−』
船上の涙

 無差別テロのような残虐なことを持ち出すまでもなく、私たちの身近なところでも悲しい事件が多発しています。どうしてこんな世界になってしまったのでしょうか。私は今、出口の見えない闇の中を、しかも下に向かって歩いているような気分になっています。
 しかし今回の劇の主人公、コルベ神父のことを静かに考えると確かな希望が湧いてきます。彼が生きた時代は今以上に厳しい環境だったかも知れません。いやむしろ、史上最悪といわれたアウシュビッツ収容所の中で、地獄の苦しみを味わいながら、愛の殉教という美しい花を咲かせたのです。
 コルベ神父が示した行為こそが、人間を希望と幸せに導く道標なのです。この劇が暗い世相に一条の光になってくれることを祈ります。

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第8回定期公演

2003.1.23 『アシジの聖フランシスコ−兄弟太陽の賛歌−』
アシジの聖フランシスコ

 石ころや虫けら、ほとんど注目されないだけでなく、邪魔もの扱いされるものにまで、慈しみの目を向けていた人がいました。アシジの聖フランシスコです。
 この度、本校の卒業生であり、聖フランシスコの「息子」でもある谷崎新一郎神父が、800年前の聖人の姿を戯曲化してくれました。
 現代はハイテク技術の進歩で非常に便利な社会になりましたが、他方ではテロなどの不安な要素も広がっています。輝く太陽に向かって、神さまの姿を映し出す兄弟と呼び掛け、獰猛な野生のオオカミとも友だちになった聖人の心は、いまこそ世界中でもっとも必要としている心です。本校の生徒たちが演じる劇が、聖人の心を伝えるメッセージとなって、多くの方々の心の中に平和の灯をともすことができることを願っています。

第7回定期公演

2002.1.24 乙女峠殉教物語  『津和野』
津和野

 21世紀という未知の時代を歩み始めた私たちです。しかし前途には大きな困難を予感させる出来事が続いています。
 明治の初め、ここ長崎の浦上の人々は、今の私たち以上に大きな不安の中に旅立たなければなりませんでした。流された3,394名のうち613名が亡くなるという過酷なものでした。
 ところが「彼らの顔は明るく晴々していた」と歴史家は記しています。神にすべてをゆだね、聖母マリアを模範とする揺るぎない信仰心に支えられていたからです。
 新しい世紀を歩み続ける私たちにも、浦上の旅人たちは、確かな道標となってくれるものと信じています。

第6回定期公演

2000.10.20 キリスト受難物語 『往還(みち)』
往還(みち

 このたび聖母の騎士学園では、キリスト生誕2000年を記念して受難劇を上演することになりました。
 科学技術は高度に進歩し、非常に便利で快適な世界が実現しました。しかし一方では神の存在が忘れられ、神の似姿として創られた人間が、その尊厳を失ったかのような出来事が続出しています。
 この劇を通じて、人間が神の懐に立ち返ることを願い、その道を暗示すべく、題名を往還(みち)としました。

第5回定期公演

1999.10.22 愛と信仰に殉じた悲劇の戦国女性 細川ガラシヤ 『清流の笹舟』
清流の笹舟

 16世紀、日本という国がヨーロッパに紹介されてから明治に至るまで、唯一名前が知られていた日本女性は細川ガラシア夫人だけです。悲劇の主人公として名を残した女性は数多くいますが、彼女の場合は異彩を放っています。明智光秀の娘であったという理由だけではなく、戦国大名の妻という難しい立場にありながら、神への信仰に殉じ、夫への愛と忠誠を貫き、38歳という若さで壮絶な最期を遂げた姿は、民族や時代を越えて心打つものがあります。
 あたかも時代の激流の中で弄ばれたかのような彼女の半生の姿を例えて、「清流の笹舟」と命題しました。自由で平和な今日を生きる私たちにも、人生をいかに選択すべきなのか、確かな光を投げかけてくれると思います。

第4回定期公演

1998.10.22 天正遣欧少年使節物語 『夕映えの海』
夕映えの海

 快適な座席に身をまかせ、日本を発ってロシアの大地を眼下に眺めながら10時間も過ごすと、飛行機はヨーロッパの上空に至る。現在では、わずか半日あまりの旅で、パリやローマに行くことができる。
 400年前の天正の時代には、それが3年も4年もかかっていた。帰国できる可能性でさえ保証できるものではなく、運を天にまかせるような旅だったのである。  そんな時代にまだ12、3歳の4名の少年たちは、勇敢にも、はるか彼方のヨーロッパをめざして長崎から旅立って行った。日本に帰るまでの8年間、見聞した異文化の国々での体験は彼らの生き様に何を残したのだろうか。
 「過去を振り返ることは将来に責任を持つことである」とはヨハネ・パウロII世の言葉である。使節たちと同世代の少年たちの演ずる劇であるが、私たちが彼らの姿を追い、辿った生涯を見つめることは有意義なことである。
私たち一人一人の人生の旅路も、また未知への旅でもあるのだから……。

第3回定期公演

1997.10.23 神父発見物語 『草笛の道』
風花の丘

 人がその心の中に息づく信条のために生命を奪われる、というようなことは現在の日本では考えられないことです。そもそも心の中の世界は、その人と神さまだけの領域であり、いかなる権力も介入してはならない聖域であるはずです。
 しかし、世の権力者たちはその中に踏み込み強引に従わせようとしたのです。長崎を中心に行われてきた日本の組織的なキリスト教徒への迫害の事実は、史上例を見ないほど長く厳しいものでした。
 その中で慎ましくも、したたかに信仰を守り続けた人たちがいたのです。7代にわたる約250年の暗い夜は、いよいよ希望の夜明けを迎えようとしていました。

第2回定期公演

1997.2.27〜28 日本26聖人殉教400周年記念劇 『風花の丘』
風花の丘

 十字架の上に縛りつけられ、白い槍の穂先が目の前に迫った時、少年たちは「子らよ神をたたえよ、聖なるみ名をたたえよ」と大きな声で歌いだした。今からちょうど400年前に西坂の丘で26名のキリスト教徒たちが処刑された時のことである。
 それは絶望とやり場のない悲しみの歌ではなかった。生命を与えてくれた神への感謝と、信仰に殉じた生涯を終えることのできる歓喜の叫びだったのである。処刑される寸前の人間が、しかも、わずかまだ12、3歳という少年たちにそんなことができるのだろうか。しかしそれは真実あったことなのである。
 あまりにも潔く清らかな聖人たちの魂を表現するため、陽射しを浴びて光る雪にたとえて「風花の丘」と名付けた。
 時が過ぎ、自由で豊かな時代に生きる今日の私たちに、聖人たちの姿は、神への愛と信仰こそが人間にとって最も大切な宝であることを教えている。特に21世紀を担う少年少女たちには、3名の少年殉教者たちから同世代の「仲間」として、熱いメッセージが送り続けられていると私は信じている。

第1回定期公演

1996.3.6 永井 隆博士に寄せて 被爆50周年記念 『平和の鐘』
平和の鐘

 過去の人であっても、美しい人生を歩んだ人たちの生涯は、私たちに喜びとさわやかな感動を呼び起こしてくれます。
 昨年行った聖コルベの「愛の騎士道」の劇には、予想をはるかに越える反響がありました。本学園では、学園に課せられた大切な使命の一つとして「宗教劇」を、定期公演という形で行なうことにいたしました。
 今回演じます「平和の鐘」の主人公永井隆博士は、ご承知のように原爆によって自らも傷つきながら、絶望の中にある人々を励まし、喜びと希望と平和の灯となって、美しい生涯を閉じた方です。 
 被爆後50年のこの時期に、劇を通じて博士の姿を再現し、その生涯の一部に迫ることは意義深いことだと考えます。この劇が、博士の求めてやまなかった愛と平和のメッセージとなることを、心よりお祈りいたします。

聖マキシミリアノ・コルベ神父 生誕100周年記念公演

1994.11.3 『愛の騎士道』
愛の騎士道

「私をこの人の代わりに死なせてください。」
 アウシュビッツ収容所で一人の脱走兵が出た。その報復として、他の10名が餓死刑を受けねばならなかったが、指名を受けた者のうち一人の兵士が助命を懇願して泣きくずれた。そこへ一人の男が進み出て兵士の身代わりを申し出た。コルベ神父であった。
 1930年(昭和5年)コルベ神父は宣教師として長崎を訪れ、わずか6ヵ年の間に本河内の地に「聖母の騎士社」「聖母の騎士学園」を創立した。
 帰国後、捕われの身となり、餓死刑を受けたのはそれから10年後の1941年であった。
 美しく生きたいという願いは、人の心にいつまでも息づいているものだと思います。しかし、現実の生活の中では、その願いとはほど遠い生き方しかできていないと反省させられます。世の中の悲しい事件を見るまでもなく、人間の本来の願いとは逆の現象が私たちの身近なところで起きています。
 コルベ神父は、あのアウシュビッツの地下餓死室を、祈りと讃美歌が流れる聖堂に変えました。絶望の中から希望を生み出してくれたのです。
 この劇を通して、本来の愛を確認し、一人でも多くの方々が美しい人生を描いてくれるよう願っています。